Thursday, June 28, 2007

State of World Population 2007:

 
昨日(6/27)、UNFPAは世界人口白書2007を発表した。

白書の内容を分かりやすくまとめたPresentationはこちら↓


(もっと大きいサイズで見たい方はこちら

今年のテーマは『都市化』。
白書によると、2007年の世界人口は、約66億1590万人(昨年比7560万人増)。
2008年には世界人口の約半数、約33億人が都市の居住者となり、その後も都市人口は増大。2030年には約49億人(!!)に膨らみ、うち80%はアジア、アフリカなどの開発途上国に集中する。

現在世界人口約66億の約半数が都市に集中している状況を明らかにし、今後開発途上国を中心に都市人口が急増することを予想。そうした来るべき都市部での急激な人口増加に対し、途上国各国の備えは十分ではないとしている。

今回の白書の重要な点は次の2点。

・ 途上国における都市の拡大を、これまで語られてきた負の側面ばかりでなく、正の側面を公的に捉えている点。
・ 都市の人口集中は、これまで語られてきた「農村からの人口流入」以上に「貧困層での出産が多いこと」が原因であるという新しい視点。


これまで開発の世界において、開発途上国における『都市化』は、環境破壊、国内格差の拡大、過密地域(スラム)の拡大、治安の悪化・・・といった負の側面から捉えられることが多かった。
今回の白書では、都市化のリスクを追認しつつ、一方で都市の拡大は不可避であり、都市化のもつ利点を生かしたリスク軽減策こそが重要であるとして、肯定的に捉えなおした。
"Urbanization—the increase in the urban share of total population—is inevitable, but it can also be positive. The current concentration of poverty, slum growth and social disruption in cities does paint a threatening picture: Yet no country in the industrial age has ever achieved significant economic growth without urbanization. Cities concentrate poverty, but they also represent the best hope of escaping it.
Cities also embody the environmental damage done by modern civilization; yet experts and policymakers increasingly recognize the potential value of cities to long-term sustainability. If cities create environmental problems, they also contain the solutions. The potential benefits of urbanization far outweigh the disadvantages: The challenge is in learning how to exploit its possibilities."



その上で、そうしたリスク低減策において必要な政策的イニシアティブとして、次の3点を挙げている。

#1 都市における貧困層に対する最低限の権利を尊重する

#2 貧困を削減し持続性を担保する、長期的で幅広い視点に立った都市計画を策定する

#3 人口に関する研究施設・専門家は、CBOや社会運動、政府、国際的な市民社会が将来都市人口拡大の姿を改善するのをサポートする重要な役割を担っており、その役割を果たすべきである


#3はさておき(苦笑)、今回の白書の提言で際立ったのは、都市部での貧困層の権利、生活の改善といったテーマである。
こうした都市部の貧困層のEmpowermentの必要性はこれまでも指摘されてきたとおりだが、重要なのは、そのEvidenceとして都市部での人口増加の原因分析が詳細に行われたことだ。
分析の結果明らかになったのは、人口増の主な原因は、これまで言われてきたような「農村部からの流入」以上に「都市部の貧困層の出産が多いこと」によるということだ。そのため、しばしば前者の視点をベースに実施されている人口移動防止策の効果は実は薄く、何より都市部貧困層のEmpowerment(例えば居住地域の確保やFamily Planningの手段の提供、清潔なへのアクセスの確保、強力なコミュニティの構築など)が必要だと強調している。


今年の世界人口白書は昨年のものとアプローチの方法がとても似ている。
昨年の世界人口白書2006のテーマは「女性と国際人口移動」だった。
経済グローバリゼーションによる国際的な人口移動の増加が不可避であることを認め、国際人口移動が持つメリットとデメリット双方を分析した。その上で、国際人口移動のメリットを十分に生かしリスクを軽減する政策のあり方、そして移動において女性や子どもを守る必要性を提言した。

理想のみを語るのではなく、現状を認識した上で、メリットとデメリットを分析し、デメリットを減らしてメリットを十分に生かせる政策提言を行うという現実的アプローチの方法は双方に共通している。(2005以前とはスタイルが大きく変わった。)

2006が、国と国との間の人口の現状分析と政策提言であったのに対し、白書2007は、途上国国内における人口の現状分析と政策提言として位置づけることができる。UNFPAは、2006・2007を通して、今後の世界人口の大きな流れである「グローバリゼーションと都市拡大」というテーマに挑んだとも言えるのではないかと思う。

この2テーマは、世界各国の政治的な思惑が交錯し、簡単には筋道が付けづらいテーマである。しかし一方で国際社会が約束したMDGsの達成期限までもうすぐ半分が経過する中で、本気で目標達成を目指すのならば避けては通れないテーマでもあるはずだ。

有効な手段を打ち出し、よりよい世界が築けるかは、まさにこれからにかかっているということだろう。

Friday, June 15, 2007

Revised International Health Regulations came into force

今日、とうとう改定国際保健規則IHR(2005)が発効した。

2005年のWHO総会(WHA)により合意された今回のIHRは、WHO加盟国が、感染症や潜在的な国際公衆衛生上の問題となる緊急事態に、サーベイランス、情報提供および対応を含め、どう対処するかに関する多国間の法的な枠組みを提示している。

IHR:国際保健規則とは、”国際交通に与える影響を最小限に抑えつつ、疾病の国際的伝播を最大限防止する”ことを目的としたWHO憲章に基づく国際規約。

1969年に制定されたIHRは、国際社会が認識すべき公衆衛生的危機に対し、加盟国はこれらの発生をWHOに報告し、水際対策を行い、最大限の保健処置を行うことを規定した。これまで1973年、1981年と2度改定され、黄熱、ペスト、コレラの3つが対象疾患に指定されてきた。

しかし現在、これら3疾患が国際公衆衛生上の危機となることはない。
代わりにグローバリゼーションの進展とともに新たな国際的な脅威として現れてきたのは、HIV/AIDSやSARS、H5N1などの新興感染症、結核、マラリアなどの再興感染症である。

WHOは1996年には次のような声明を発表した。

「我々は、今や地球規模で感染症による危機に瀕している。もはや、どの国も安全ではない。」

1999年、日本で感染症新法が制定されたのもこうした流れの中にある。

こうした状況の中で、IHR改定に向けて長年(本当に長年)作業が行われてきた。
そして2年前の2005年、ようやく決定されたのが、今日発効のIHR(2005)である。

IHR(2005)の新たな考え方は、世界的な連携体制の下で、(1)既知のリスクを封じ込め、(2)未知のリスクに対応し、(3)備えを改善することでGlobal Health Securityを確保しようというものである。

最大の変更点は、 WHO加盟各国が、新たな(未知の)Global Health Crisisに対して連携して備えられるような仕組みが導入されたこと。そしてWHO、加盟各国に課される責任、義務がこれまで以上に大きくなったことの2点だ。

これまでのIHRで指摘された問題は、新たな感染症への対策が難しかったことだけではない。
各国のIHRに対するcomplianceを確保する機序が欠如していたこと、WHOと各国との協力体制がしかれていなかったことなどの問題もあった。
例えば、中国がSARSやH5N1の患者発生を隠蔽していたことなどは有名だ。
経済損失への恐れから情報の透明性が確保されず、第3者専門機関としてWHOの執行すべき権限が十分に付与されていなかったのだ。

IHR(2005)では、加盟各国による報告対象疾患が拡大され、各国のHealth Crisisに対するCore Capacityが規定された。

Core Capacityとは、各国が”感染症を含む異常事象全体”に対応するsurveillanceやoutbreak対応の最低限の能力のこと。つまり、このことは国の公衆衛生危機管理体制そのものを強化することを指す。

”感染症を含む異常事態全体”としたのは、IHR2005では、化学物質などを含めた包括的なGlobal Health Riskとして“Public Health Emergency of International Concern(PHEIC)”という概念で捉えられるようになったためだ。
参照:Effects of New Internatonal Health Regulations (medscape)
(PHEICの決定アルゴリズムは右の図のとおり。)

このアルゴリズムを見ると、昨今日本で流行している麻疹は、PHEICに該当するのではないか、と思えてくるが・・・。日本では、まだまだワクチンに対 する公衆衛生的な重要性の認識が低い。今回の騒動を通して、公衆衛生は過去の話ではないということを再認識できればいいのだが、マスコミは煽り立てることばかりに躍起になって、問題の本質を見ようとしていない。それどころか、国際保健規則の改正について報道しているマスコミは現在のところ日経新聞のみだ。しかも記事が短い・・・。世界とのギャッ プに驚かざるを得ない状況だ。

しかし、問題は多いとはいえ、日本など、自力で危機管理体制を強化できる国はまだいい。自力強化など到底できない国は多い。こうした国々のCapacity Buildingをどのように国際社会がサポートしていくかが今後の課題となるだろう。

今回のIHR(2005)の発効によって、世界はGlobal Health Crisisに対する協調体制へ大きく舵を切った。世界の国々の思惑、利害が交錯する中、こうした強力なシステムを創り上げていく作業は相当大変なものだっただろう。

しかし、これからがもっと大変だ。システムを軌道に乗せなければならない。しかも、迅速に。
目の前には、H5N1という大きな脅威が待ち構えているのだから。

Wednesday, June 6, 2007

Development Pornography

久々のBlog。いろいろ書きたいことはあったが、 いつの間にか1ヶ月以上も更新せずに放置していた。5月病も終わったことだし(?)そろそろ再開。

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開発、特にGlobal Healthの分野に関わるようになって数年。
とても奥が深いこの分野はまだまだ学びの途上だが、最近になって、少しずつ冷静に批判的視点を持ちながら現場や文献に接することができるようになってきた。

国際開発は、どの分野であっても常に超えるべき大きな障壁が立ちはだかり、その問題解決に集中するあまり、中立的・批判的な視点を失ってしまうことがよくある。
Donorにとっての中立的・批判的な視点とは、「Donorの視点」以外の視点、すなわち「外部からの視点」や「当事者(Recipient)の視点」である。
批判的視点を失うと、自らが良心の元にとった行動が結果的に相手に害を与えていたとしても、それに気づくことはできない。

「開発ポルノ」というテーマは、まさにその最たる例かもしれない。

Fair Trade Photography Battles 'Development Pornography'
Technology, Health & Development Blogより。

"Development Pornography" 「開発ポルノ」という言葉を聞いたことがあるだろうか。
まずはこの映像をみてほしい。



センチメンタルな音楽にあわせ、栄養失調で痩せ細った子どもたちの姿、劣悪な生活を余儀なくされる人々の姿が映し出され、Darfurの悲惨な状況が伝わってくる。まさに「貧困」そのものである。
この映像をみて、私たちは何を感じるだろうか。
「かわいそうだなぁ。」、「何かできることがあればしてあげたい。」、「同じ世界なのにどうしてこんなに差があるのだろう。」、「平和な国に生まれてよかった。」、「遠い国の話で私には関係がない。」等々・・・人によって捉え方はさまざまだろう。

しかし、気づかなければならないのは、こうした視点はあくまで「Donorの視点」、「外部の視点」にすぎないということだ。
こうした映像・写真表現に当事者の視点が入る余地がないのだ。当事者のDarfurの人々は、この映像を見てどういった感想を持つだろうか。「白人の裸を写せばポルノなのに、アフリカ人の裸を写せばチャリティーであり、称えられるのか。」 [参考] と疑問を呈するかもしれない。あるいは「私たちにも日常があり、誇りがある。哀れみの目で見ないでほしい。」と思うかもしれない。

“Upwards of 90% of the images of the majority world that are seen in the western media are produced by white photographers from the USA or Europe. This results in a one dimensional view often driven by a negative news agenda or the need to raise money.”
「西欧諸国のメディアでみられる途上国世界の写真の90%以上は、アメリカやヨーロッパの白人の写真家によって撮影されたものだ。こうした映像・写真表現は、(途上国世界に対する)一元的な視点を生み出しており、そうした視点はしばしば、ネガティブなニュースの議題や(援助機関の)資金調達の必要性から引き出される。」

“Recognizing everybody’s communication rights in the information society is not mere slogan or campaign; it’s an integral part of social justice.”
「情報社会における各人のコミュニケーションの権利を認識することは、単なるスローガンやキャンペーンではなく、社会正義の統合的な一要素である。」
[quotes from kijiji.com]
私は、こうした映像・写真表現を否定する気は毛頭ない。ただ、それを「当たり前」として容認する姿勢をとってならないと思うだけだ。

こうした映像は、確かにインパクトがあり、人々に「気づき」の機会を与える上で大きな役割を担っており、人々の良心-時にはそれ以外の場合もあるが-から寄せられる寄付はNPOや国際機関等の意義ある活動を支える大きな原動力となっている。そして、世界においてNPO(NGO)の存在感を強めることにも大きな貢献をしてきた。こうして得た資金により多くの人々が救われているのは事実だ。

しかし、一方で被写体となった彼らには彼らの生活があり、日常がある。そして誇りがある。「アフリカ=貧困・エイズ」といった偏ったステレオタイプを植えつけられる彼らの尊厳、人権をどう考えるのか。
人権を守るのための報道活動が、一元的なステレオタイプの助長、そして彼らの尊厳の蹂躙につながってはいないのか、今一度よく考える必要がある。

近年になって、こうした問題における当事者(国際NGOなど)の一部では、この問題に気づき、真剣に議論し始めている。

"Part of the reason for this kind of post-colonial choreography by INGOs is because they are still required to be the visual mediators of the poor world to the rich world. In Western society, our INGOs are inter-cultural gatekeepers. They know both worlds and report the one to the other. This presents them with many representational dilemmas with their own publics and their own civil societies 'back home'."
「国際NGOによる、こういったポストコロニアル
choreography*の理由の一つは、彼らが先進国に途上国の姿を映し出す媒体としていまだ必要とされているためだ。西欧社会では、国際NGOは異文化の門番となっている。彼らは両方の世界を知り、途上国から先進国へレポートするからだ。こうした役割のため、彼らは、彼らの拠点(先進国)のpublic**やcivil society***との間に多くの表現上のジレンマを持つことになるのだ。」
*) choreography: 振り付け、つまり(一元的な)「貧困」のイメージを構成すること
**) public: 公衆、一般の人々、ここでは途上国に対する固定化した観念を持つ人々のこと
***) civil society: 市民社会、ここでは国際NGOへの見識があり、途上国を知る人々のこと

つまり、国際NGOなど、途上国につながりを持つ組織は、先進国の一般の人々=publicにとって、途上国を映し出す鏡としての存在を期待されており、publicは国際NGOの活動を通して「途上国」を知ることになる。一方、国際NGOは、自らの役割(貧困撲滅)を果たすためには、publicが「貧困」の現状を知ることが必要であり、自らの活動への理解者、支援者となってほしいと望む。つまり必然的に国際NGOは、途上国の「貧困」の側面を強調することになる。こうして「途上国=貧困」あるいは、「途上国=エイズ」像ができあがる。
一方で、途上国を知る市民の輪=civil societyからみると、こうした国際NGOによるプロパガンダは、一面的でしかないように映るかもしれない。

しかし、こうした問題が認識されはじめたのは最近のことであり、DonorやJournalistの中でもまだまだ認識に差があるのが現状だ。

私たちは油断をするとすぐ一元的な視点に陥ってしまい、抜け出せなくなる。
一元的な視点は、影響がないばかりか、時に害すら及ぼすことがある。
先のL. Garrett氏の論文は、まさにそれを指摘した典型例だろう。)

私たちが今行っていることがどういった影響を与えうるのか、広い視点で検討ができるよう、常に広く世界にアンテナを広げている必要があるだろう。


次回は、少し違った視点から、「格差」をテーマに先入観と現実社会のズレについて考えてみようと思う。